堅炭岩の水晶

平成30年(2018年)秋の虹芝寮整美を終え学生さんたちは帰り途端に静かになる。翌日から堅炭岩を目指す。βルンゼからコルに出て中芝新道を経て一ノ倉岳~蓬峠まで縦走し虹芝寮に戻った。堅炭岩は水晶が見つかる。広いカールボーデンの中、どこにあるのか時間が許す限り探すのは面白い。

左からK峰、KⅠ峰、KⅡ峰、KⅢ峰、KⅣ峰。KⅡとKⅢの間がβルンゼである。

βルンゼは中央のコルに突き上げている

水晶1

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踏高会臨時総会・寮祭

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2016年10月29日、30日の両日で、踏高会臨時総会と虹芝寮祭が開催されました。詳細のご報告は、こちらのページでも掲載する予定ですが、取り急ぎ渡邊聡夫氏よりお寄せいただいた写真を掲載いたします。

また10月29日には、みなかみ町在住の郷土史家で、谷川岳エコツアーのガイドもされている阿部利夫さんを踏高会でお招きして、清水峠越え国道の歴史などについて講演していただきました。こちらも大変興味深い内容であったとのことでした。虹芝寮の近くの笹の中には、谷川ではここにしかない珍しいものもあるそうですよ。

<追記>写真を追加いたしました(2016年11月7日)

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虹芝寮サバイバル

寮整備のあと、西田氏・柿沼君によるサバイバル訓練がひそかに行われた模様です。なんでも米と最小限の調味料のみで、己の限界にチャレンジしたとのこと。ただし寄せていただいた写真を見る限り、贅を尽くしたサバイバルだったようです。柿沼 恭介

堅炭岩

虹芝寮の屋根から見上げた堅炭岩

虹芝寮の屋根から見上げた堅炭岩

堅炭(カタズミ)岩の概要と、ある紅葉の季節の登攀記録を記載する。

虹芝寮を堅炭岩と離して語ることは難しい。寮から指呼の間にあることから、寮建設当時から手頃なゲレンデとして親しまれてきた。小舎の裏手にそびえるその勇姿を初めて振り仰ぐと、誰もが感動とも畏れともつかぬ声を上げる。標高にすれば1,550m程度だが、森林限界を越えて怒髪天を衝くように急峻に乱立するその姿は、アルプの岩峰群を彷彿させ美しい。80年前の成蹊高校生たちが、ここ芝倉沢に小屋を建てるべしと心に決めたとき、堅炭岩という存在が大きな役割を果たしたことは想像に難しくない。

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上越国境縦走(巻機山から白毛門まで)

上越国境縦走(巻機山から白毛門まで)

4 1958年3月 上越の山なみはるか

4 1958年3月 上越の山なみはるか

虹芝寮は上越国境の懐に抱かれている。上越国境という言葉は山ヤにとって心を打つ響きである。上越国境とは、上州(群馬県)と越後(新潟県)の国境の山々であり、一般的に三国峠から谷川岳を経て巻機山、越後駒ヶ岳までを云う。
手元に『岩と雪』創刊号がある。298 〜 319頁に「積雪期上越国境縦走 越後駒ヶ岳‐蓬峠‐虹芝寮 1958年3月の記録 成蹊大学山岳部」の記録が掲載されている。
「我々が二年もかけて上越国境の縦走を企てたのは成蹊が谷川岳に小屋を持って、長い間親しんでき、且つ最も身近な上越の山に、未だ完全に知られない中ノ岳から巻機山の国境尾根があると言うこと。そして此処は特に積雪期には全くと言って良い程一般には知られておらず、越後駒ヶ岳より谷川岳までの一貫した縦走記録は上越の山に関心をもつ我々にも手に入らないのであった(『岩と雪』創刊号から引用)。」
この記事は、踏高会(旧制高校旅行部・成蹊中高大山岳部OB会)の西口雅CL、木村健司、大池康司をはじめとする成蹊大学山岳部の挑戦の記録であり、それは虹芝寮があるからこそ企てられた。
巻機山の稜線はこの上越国境の一部を成す。社会人となった私は、越後駒ヶ岳から虹芝寮までの縦走を分割して残雪期に縦走することを考えた。これは、初縦走を成し遂げた成蹊大学山岳部の先輩達に対する尊敬の念の現れである。虹芝寮にゆかりある山として、5月に巻機山から白毛門までを縦走した。

踏高会 柿沼 恭介 登山記録

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