積雪期上越国境縦走     


平成31年(2019年)3月から遡ること、60年。昭和33年(1958年)3月に行われた成蹊大学山岳部春合宿を振返る。写真は、当時三年木村健司氏、文章は当時三年CL西口雅氏、岩と雪Ⅰへの寄稿である。

「岩と雪Ⅰ」昭和33(1958年)年7月1日発行
昭和33年(1958年)3月成蹊大学山岳部春山合宿の記録

越後駒ケ岳の麓、駒の湯を3月9日に出発し、越後駒ケ岳、中の岳、下津川山、巻機山、蓬峠を経て3月29日虹芝寮に到着し縦走終了

隊の編成 越後駒ケ岳-巻機山縦走隊=CL西口雅(三年)、木村健司(三年)、大池康司(二年)。巻機山-虹芝寮縦走隊=CL西口雅(三年)、SL柴田雄二(四年)、馬場秀雄(二年)。駒ケ岳サポート隊=SL柴田雄二(四年)、馬場秀雄(四年)、井草洋太郎(一年)。巻機山サポート隊金井徹(四年)、金子喬一(二年)、水上三栄(二年)

我々が五七年度の総決算ともいうべき春山合宿に上越国境を選んだのは、この縦走を昨年計画し失敗していることが大きな理由でもあるが、我々が二年もかけて上越国境の縦走を企てたのは成蹊が谷川岳に小屋を持って、長い間親しんでき、且つ最も身近な上越の山に未だ完全に知られていない中ノ岳から巻機山の国境稜線があると言うこと。そして此処は特に積雪期には全くと言って良い程一般には知られておらず、越後駒ケ岳より谷川岳までの一貫した縦走記録は上越の山に関心をもつ我々にも手に入らないのであった。
以下写真はすべて木村健司氏提供

この国境尾根は中ノ岳巻機山間は猛烈なブッシュで無雪期に歩かれるのは極めて少なく、利根川を遡行したパーティが尾根上に立つ位で縦走は残雪気に行われるのが多かった。上越に残された、我々にとっても未知のこの国境を雪に苦しめられ乍らも、歩いてみたいと言うのが永年の念願であった。

後記 我々の合宿を期間内に無事に終了させることができたのは、一口に言えば天候に恵まれたためである。昨年の悪天候が予想以上であったように、今春の好天も予期していなかったことで、これに加えて過去の苦い経験から十分の期間をとったこと、参加した部員の殆どが積雪期の上越を知っていたことが全員に精神的にも余裕をもたせていた。昨年の、失敗の苦い経験が貴重なものとなって生き我々の上越国境の縦走に結末をつけてくれた。気象的条件の変化の影響を受けることの著しい上越において天候に恵まれたと言うことは、自然から厳しい試練を受ける機会をそれだけ失ったことになる。しかし我々は我々の力の範囲内で全力を傾けたのであり、山はそれだけのものを与えてくれたに違いない。

 縦走を終えて虹芝寮に入る。「この小屋は建てられてから25年を経る古い小屋であるが、いつもそうして人を迎える姿にはおおらかな慈愛が溢れていた。縦走の終着点虹芝寮に到着したのが十二時三〇分。二十日間におよぶ縦走を無事完成せしめることが出来たのだ。我々はこの喜びと、次の新しい目的に対する闘志を抱きながらも疲労は隠せなかった。顔をあげると雲の切れ目から五日ぶりに見る青空が祝福を与えてくれるようだった。」  

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