報告 – 虹芝寮 http://koshiryo.com 成蹊学園山岳部OB会・踏高会による虹芝寮(こうしりょう)のサイトです Sat, 30 Mar 2019 06:59:58 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.5.2 土合山の家と虹芝寮 http://koshiryo.com/2019/02/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e3%81%a8%e5%9c%9f%e5%90%88%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%ae%b6/ http://koshiryo.com/2019/02/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e3%81%a8%e5%9c%9f%e5%90%88%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%ae%b6/#respond Tue, 12 Feb 2019 13:59:56 +0000 http://koshiryo.com/?p=2692 Continue reading ]]> 土合山の家は虹芝寮と関わりが深い。虹芝寮建設まではもちろんのこと、昭和7年の虹芝寮完成以降も、土合山の家先代の中島喜代志氏は虹芝寮の鍵の管理を任されており、成蹊の学生は中島氏を訪ねた。

中島喜代志氏(中央)谷川岳警備の仲間たちと。足元に倒れている標識には「準備よいか尊い生命」とある。虹芝寮の鍵は中島氏が保管していた。(土合山の家提供)

虹芝寮を建設した踏高会三枝守維は述懐する。「喜代志はきさくないい人でしたよ。おやじは農家でね、清水トンネルを作るときは飯場の長をしてたんじゃないかな。土合山の家はトンネル掘る人たちの子供たちの学校だったんだよね。あそこはね、軍が森を切ったから雪崩でやられたんだよ。それで少しこっちにずらしての立て直したのが今の家なんだよ。ぼくらがやまへ行った頃は、喜代志がお米しょったり野菜しょったりして、僕らの補給は土合山の家だったから、なくなると誰か下りて行って、喜代志がしょってきたんだ。きさくないい人でしたよ。もともと、喜代志のうちはねえ、湯檜曽の呉服屋だったんだよ。たしか山の家と両方やってたな。喜代志の時代になったころは、山登りが盛んになって、土合の山の家もお客さん多かったから 山の家を専門でやるようになったんだね。そのころは、清水トンネルも開いたばかりだったからね、それで僕らが虹芝寮をつくって、年は僕と同じだったよね。確か大正3年生まれだった。昭和6年頃(1931年)だから、僕らが16歳のころだな。土合山の家が補給基地だったんだよ。それから山の家にだいぶ泊まってますよ、僕らも。黙って止まって黙って出てくるわけだ、とにかく掘立小屋でね、僕らの時は土合の駅はなかったからね、信号所だったんだよ。動いている貨物車に下りるのは楽だったけど、乗るのは大変だったよ。あれは高さがあるからね。貨物列車は飛び乗って飛び降りてた。荷物を先に投げて僕も飛び降りる、それが面白くってな。そのうち客車が通るようになって、あそこに停まるようになった。・・・」

昭和7年、清水トンネル開通後に、国鉄から払い下げられた山の家。清水トンネル工事中は幸知小学校土合分校であった。最初の頃は観光客も村の人たちも来ず苦労されたという。(土合山の家提供)

土合スキー場山の家。丸ストーブが置かれテーブルには丼が並べられている。(土合山の家提供)

上越国境の山々とともにある。中島喜代志氏は多くの登山道を啓き、谷川岳登山の先鞭をつけた。(土合山の家提供)

三枝守維氏の述懐の頃を谷川岳山岳資料館史料から引用する。「土合は信号所として設けられ、二年後の暮れに信号所は乗客が乗り降りする土合駅に昇格した。国鉄のスキー場用にと、土合にあったトンネル工事関係者の子弟用の湯檜曽の幸知小学校の土合分教場を改造しての山の家であるのにスキー客が来ない。いくら無償で払い下げられたといってもである。後にこの小屋は終戦の昭和二十年一月に雪崩で潰されてしまい、現在の場所に立て替えられるのであるが、雪崩の原因は軍の要請で保安林が切られたためであった。小屋を始めたものの客も村の連中も来ない。喜代志は山へ入りゼンマイ、コゴミなどの山菜やクマやモモンガの素晴らしい毛皮を独占する。モモンガはフランスにもの凄く売れた。一頭二円五十銭。猟は夜。雲がちょっと出ているのが良かったが月の半分は出猟でき、一回で七、八頭は捕れた。ゼンマイもいぶせば重さは半分になり、ただ干すだけより虫にも食われず、高く売れた。」中島喜代志・谷川岳山岳資料館蔵)

昭和25年11月玄関の前で。(土合山の家提供)

東京府主催のスキー大会が土合スキー場及び山の家周辺で行われた。(土合山の家提供)

食堂だろうか、ストーブを背に暖をとっている。登山道が出来ると登山者が殺到した。駅にも昇格し、喜代志小暮理太郎との出会いが無ければ今の自分は無かったと後にしみじみと述懐したという。(土合山の家提供)

 

スキー置場の文字が読める。外には白銀の世界が広がる、笑みが自然とこぼれる。白樺尾根や武能までのスキーも行われていた。(土合山の家提供)

 

清水トンネル開通のために殉じた方々の霊を慰める神社が清水トンネル脇にある。写真左側のレンガ塀は清水トンネル。国道からも鳥居が認められる。現在は、山の家の中島さんが5月10日に静かにお祭りをしている。(土合山の家提供)

平成31年2月土合山の家 春が訪れ、雪解けとともにつららが成長し陽光に輝く。土合山の家は暖かく登山者を迎え入れる。

山の家に掲げられている登山コース所要時間表。板を並べ、手書きで山の概念図が描かれている。味わいのある額縁。中島光代さんが小さい頃から掲げられており、幾多の登山者がこれを見ながら山を思ったことだろう。

昭和の初めのころ、大勢で登った谷川岳(土合山の家提供)

スキーを担いで頂へ(土合山の家提供)

一歩一歩踏み占める。(土合山の家提供)

谷川岳の春(土合山の家提供)

山の家、ストーブを囲んで団らん(土合山の家提供)

ポッケに手を入れ、胸を反らせる。(土合山の家提供)

谷川岳肩の小屋(土合山の家提供)

「上越線開通の翌年、群馬県出身の小暮理太郎が仲間と一緒に山の家に泊まる。小屋の経営に絶望しつつあった喜代志に理太郎はこう言って説明した。谷川岳は素晴らしい山だ。東京からも近い。スキーは駄目でも、将来きっと登山で発展する。それには道を付けなければ駄目だ。あんたがそれをやれ。登山は英国から入ったスポーツで、これから盛んになるぞ。あんたがガイドとして道案内をやれば、いい仕事になる。道が出来れば人は必ず来る。そうしたら、そこに駅ができる。だまされたと思ってやってみろ。…中略…登山道が出来ると登山者が殺到した。駅にも昇格し、喜代志小暮理太郎との出会いが無ければ今の自分は無かったと後にしみじみと述懐したという。」中島喜代志・谷川岳山岳資料館蔵)

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成蹊中高蹊祭2017 http://koshiryo.com/2017/10/teens_komichi/ http://koshiryo.com/2017/10/teens_komichi/#respond Mon, 02 Oct 2017 12:33:40 +0000 http://koshiryo.com/?p=2382 Continue reading ]]> 【成蹊中学・高等学校の熊崎氏より、9/30(土)、10/1(日)に開催された蹊祭での中高山岳部の展示をご報告いただきました】

展示の様子

今年はいつもの立体地図が谷川岳虹芝寮周辺、南アルプス仙丈ケ岳周辺と荒川岳周辺の3つ。

 

削ぎ落とされた表現!

それと主に中学生が作った虹芝寮の模型。スケールがかなりいい加減「主観を忠実に形状化したアート作品」でしたが、薪ストーブにLEDで赤い灯がつき、燃えている様子を再現している力作です。

楽しい雰囲気の伝わる合宿報告

他には合宿の報告など。

貴重な資料も

踏高会が虹芝寮80周年を記念して作成したパネル、古い部報[ECHO」や60年代の高校山岳部のアルバムも展示されていました。

虹芝寮のパネル展示も

ご来場いただきました会員ならびに関係者の皆様、どうも有り難うございました。

保存保存

保存保存

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12月の虹芝寮 http://koshiryo.com/2013/12/12%e6%9c%88%e3%81%ae%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae/ http://koshiryo.com/2013/12/12%e6%9c%88%e3%81%ae%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae/#respond Sun, 15 Dec 2013 06:33:12 +0000 http://koshiryo.com/?p=939

これから深い雪に閉ざされる(写真提供:村上君)

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水源改修工事 http://koshiryo.com/2013/06/fountainhead/ http://koshiryo.com/2013/06/fountainhead/#respond Wed, 19 Jun 2013 01:15:20 +0000 http://koshiryo.com/?p=812 Continue reading ]]> 虹芝寮生活の楽しみの一つは何と言っても最高に美味しい湧き水から得られる飲用水ですが、水源は寮の上部約100mほどのところにあります。

堅炭沢の伏流水を暗渠で集水枡に集めて寮まで導水しているのですが、近年は水流が少なくなり、昨年は枯渇の危機に瀕したため、減水か漏水が疑われ、今回清水建設さんとともに現地調査と対策工事を施してきました。とりあえずは現在は充分な水量が保たれていますのでしばらく経過を観察することとします。

80年以上に及ぶ小屋生活を支えてきた湧き水、何か特別に神聖なものを感じ、お神酒を捧げてきました。

(熊崎)

水源補修工事全景

水源補修工事全景

大岩の除去

大岩の除去

止水のためにビニールシートとステンレストレイを設置

止水のためにビニールシートとステンレストレイを設置

下流方向より撮影

下流方向より撮影

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土合山の家へ寄贈 http://koshiryo.com/2013/03/%e5%9c%9f%e5%90%88%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%ae%b6%e3%81%b8%e5%af%84%e8%b4%88/ http://koshiryo.com/2013/03/%e5%9c%9f%e5%90%88%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%ae%b6%e3%81%b8%e5%af%84%e8%b4%88/#respond Thu, 28 Mar 2013 12:53:12 +0000 http://koshiryo.com/?p=689 Continue reading ]]> P3282427虹芝寮80年記念誌を土合山の家に寄贈して参りました。
中島光代さんにお渡ししました。昔の写真が沢山あって嬉しく、文章が読みやすいとおっしゃっていました。お孫さんはみかちゃん(4歳)です。P3282426その後、みなかみ町役場へ。環境課木村さん経由でみなかみ町長岸良昌様宛ての手紙を添えて寄贈しました。

白毛門登山最高でした。残雪多いです。

(柿沼 恭介)

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2012年12月の寮 http://koshiryo.com/2012/12/news/ http://koshiryo.com/2012/12/news/#respond Sun, 30 Dec 2012 00:44:48 +0000 http://koshiryo.com/?p=428 Continue reading ]]> 二度目の冬を迎えた新生虹芝寮

二度目の冬を迎えた新生虹芝寮

12/30、80周年記念誌に使用する写真撮影のため、日帰りで入寮しました。積雪は約1m、お昼で気温は3度、小雨、微風。土合山の家の人にして「前が見えなくなるほど」だった数日前の大雪も、大分溶けており、良く締まってスノーシューでの歩行に支障ありませんでした。徒渉があるため夏道でアプローチ。ゼニイレ沢出合にもデブリ無し。

寮の周囲は雪も落ち着き、遠くで鳥の鳴き声が聞こえるくらいで実に閑静。何日か前に人がいたせいか、屋根の雪も溶けて凍結していました。最高最低温度計に記録された最低気温はマイナス10度。水槽の水量は豊富でした。

撮影は無事終了、調整後に記念誌にカラーで使用される予定です。
寮は来年に向け深い雪に閉ざされます。
(松浦)

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