上越国境縦走(巻機山から白毛門まで)

上越国境縦走(巻機山から白毛門まで)

4 1958年3月 上越の山なみはるか

4 1958年3月 上越の山なみはるか

虹芝寮は上越国境の懐に抱かれている。上越国境という言葉は山ヤにとって心を打つ響きである。上越国境とは、上州(群馬県)と越後(新潟県)の国境の山々であり、一般的に三国峠から谷川岳を経て巻機山、越後駒ヶ岳までを云う。
手元に『岩と雪』創刊号がある。298 〜 319頁に「積雪期上越国境縦走 越後駒ヶ岳‐蓬峠‐虹芝寮 1958年3月の記録 成蹊大学山岳部」の記録が掲載されている。
「我々が二年もかけて上越国境の縦走を企てたのは成蹊が谷川岳に小屋を持って、長い間親しんでき、且つ最も身近な上越の山に、未だ完全に知られない中ノ岳から巻機山の国境尾根があると言うこと。そして此処は特に積雪期には全くと言って良い程一般には知られておらず、越後駒ヶ岳より谷川岳までの一貫した縦走記録は上越の山に関心をもつ我々にも手に入らないのであった(『岩と雪』創刊号から引用)。」
この記事は、踏高会(旧制高校旅行部・成蹊中高大山岳部OB会)の西口雅CL、木村健司、大池康司をはじめとする成蹊大学山岳部の挑戦の記録であり、それは虹芝寮があるからこそ企てられた。
巻機山の稜線はこの上越国境の一部を成す。社会人となった私は、越後駒ヶ岳から虹芝寮までの縦走を分割して残雪期に縦走することを考えた。これは、初縦走を成し遂げた成蹊大学山岳部の先輩達に対する尊敬の念の現れである。虹芝寮にゆかりある山として、5月に巻機山から白毛門までを縦走した。

踏高会 柿沼 恭介

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俎嵒(マナイタグラ)山稜の山旅 

13 谷川乗越とマナイタグラ

谷川乗越とマナイタグラ

俎嵒(マナイタグラ)山稜の山旅

俎嵒山稜は谷川連峰の主稜線から離れているため、踏み跡程度の登山道しかない山であるが、天神尾根から眺めるそれは立派な山容である。俎嵒山稜はオジカ沢ノ頭から分岐し、川棚ノ頭を経て、谷川乗越、小出俣山へ至る美しい峰々を優雅に連ねている。谷川乗越は、赤谷側源流部と谷川源流部を結ぶ要衝の地で沢登りやスキーの愛好家の中では知られた場所である。俎嵒山稜をメインに小出俣山周辺の山を虹芝寮ゆかりの山あるいは近郊の山として紹介する。

前夜は虹芝寮の設計者堀越三郎が定宿としていた谷川温泉「金盛館」に宿泊した。部屋の眼下には谷川が静かに流れている。虹芝寮が完成した昭和一桁の頃、谷川温泉は東の熱海と呼ばれ湯治客で賑わったという。今は静かな山の温泉である。昭和初期の谷川温泉の様子は写真集「谷川温泉の足跡」により風俗を知ることができ興味深い。虹芝寮が完成したのが昭和7年であるから、渡辺兵力さんが活躍した時代の風景をこの写真集で想像することができる。

谷川温泉の近くに富士浅間神社がある。谷川岳オキノ耳のご神体は富士浅間神社の奥の院である。由来は金盛館にほど近い谷川の河原にコノハナサクヤヒメが降臨したという伝説に基づいている。虹芝寮改修工事の安全祈願は富士浅間神社で厳かに行われ、無事に竣工を迎えることができた。堀越三郎が定宿とした金盛館からは谷川岳南面俎嵒(マナイタグラ)山稜がよく見渡せる。雪に覆われたふくよかな稜線と垂直で黒々した幕岩の厳しい表情が合わさり見る者の記憶に印象深く残る山である。

踏高会 柿沼 恭介

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