柿沼 恭介 – 虹芝寮 http://koshiryo.com 成蹊学園山岳部OB会・踏高会による虹芝寮(こうしりょう)のサイトです Mon, 05 Dec 2022 00:01:28 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.5.2 虹芝寮90周年記念誌発行・手ぬぐい作成 http://koshiryo.com/2022/11/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%ef%bc%99%ef%bc%90%e5%91%a8%e5%b9%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e8%aa%8c%e7%99%ba%e8%a1%8c/ http://koshiryo.com/2022/11/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%ef%bc%99%ef%bc%90%e5%91%a8%e5%b9%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e8%aa%8c%e7%99%ba%e8%a1%8c/#respond Fri, 25 Nov 2022 10:54:45 +0000 https://koshiryo.com/?p=4302 Continue reading ]]> 昭和7年9月15日旧制成蹊高校不言会旅行部の「自分たちの登山基地となる自分たちの山小舎を持ちたい」という願いが学園の協力を引き出し虹芝寮は開かれました。90年の間、虹芝寮に集う成蹊の生徒は先輩からのお作法の心を引継ぎ「次に来る人のために少しだけきれいにして帰る」を伝統としてきました。戦前、戦後を経て虹芝寮の利用者の目的あるいは虹芝寮を取り巻く環境は大きく変わってきたように思われます。しかしながら土合山の家との歩み、中高山岳部の活躍、踏高会だけに限らない虹芝寮整備、エコツーリズムを機会としたみなかみ町とのつながり等、変わらず愛される虹芝寮を見ることができます。時代は変わろうとも単にマニュアルに縛られるのではない先輩から受け継いだ「お作法」の伝統の継承を大切にしていきたいと願う次第です。2032(令和14)年には100周年を迎えますが心のつながりを大切にする虹芝寮の真の伝統が引き継がれることを切に願い、90年の節目に記念小冊子と手ぬぐいを作成しました。 

                                 成蹊踏高会会長 川田詔 

虹芝寮90周年記念誌(カラー48ページ、A5サイズ)と手ぬぐいのセット
90年の歴史を年譜形式のフォトブックに
土合山の家は虹芝寮の1年前にオープン
虹芝寮オリジナル手ぬぐい デザイン松浦圭

 虹芝寮90周年記念誌と手ぬぐいのセットを踏高会全会員・関係各位に送付しました。
 先輩方の記録や写真などのおかげで記念になるフォトブックができました。手ぬぐいは石楠花会の
松浦圭さんのデザインです。
 在庫が少々ありますので2セット目以降をご希望の方は、実費として2,000円/セット(送料込み)
でお分けしますので柿沼まで連絡ください。

 下記お問合せフォームに「虹芝寮90周年記念誌希望」と連絡をください。振込先をご案内します。
 無くなり次第終了となりますのでお早めに問合せをお願いします。 

令和4(2022)年11月25日
 
 柿沼 恭介
 

[contact-form-7]
2022年11月15日納品
みちしるべ500冊が到着し検収を行う
水無印刷・ベジタブルインキ・FSC認証紙使用
]]>
http://koshiryo.com/2022/11/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%ef%bc%99%ef%bc%90%e5%91%a8%e5%b9%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e8%aa%8c%e7%99%ba%e8%a1%8c/feed/ 0
令和3年(2021)6月虹芝寮整備 http://koshiryo.com/2021/07/%e4%bb%a4%e5%92%8c3%e5%b9%b4%ef%bc%882021%ef%bc%896%e6%9c%88%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e6%95%b4%e5%82%99/ http://koshiryo.com/2021/07/%e4%bb%a4%e5%92%8c3%e5%b9%b4%ef%bc%882021%ef%bc%896%e6%9c%88%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e6%95%b4%e5%82%99/#respond Wed, 07 Jul 2021 02:09:58 +0000 http://koshiryo.com/?p=4013 Continue reading ]]>

6月20日(日)虹芝寮

期日:令和3(2021)年6月18日(金)~6月20日(日)

参加者:柿沼 恭介、西田 悠一、松浦 圭、西岡 幸祐、堤 絵里子

コロナ禍のため一般の利用はできません。最新情報は成蹊学園HPでご確認ください。

6月18日(金)晴れ→雨 

2月の雪下ろし以来の入寮。新型コロナウイルス対策マニュアルに則り整備を行う。

*布団干し

1階の布団を屋外で干す。7:30~13:30まで6時間日光に当てることができた。1階の布団は冬の間にネズミがおしっこをかけており多少汚れがあり、布団の交換が望まれる。ネズミがかじったと思われる掛布団は穴あきの面積が大きいもの1枚は処分した。

*境界杭搬入

境界杭を搬入した。次回の整備で、防腐加工を施した後に設置する予定

*屋根修理

屋根の瓦棒(かまぼこ型)のめくれの修理。雪の重みで瓦棒(かまぼこ型)のガルバリウム鋼板がめくれており釘等で応急処置実施

*草刈り

寮庭が草で覆われつつあったが、庭園のようにきれいに草刈りを行う。

6月19日(土)雨 

*屋内清掃

約4ケ月間締め切ったままであったが寮内の最高気温が28度と低めであったため青カビが一面に密生することは避けられた。

一階/二階居室・トイレ清掃。天井、壁、床を全て水雑巾拭き。

*台所清掃

食器・什器全て煮沸消毒。食器棚他全て清掃。

*窓ガラス磨き*土間清掃*トイレ清掃*靴棚入替え冬長靴を収納し夏の長靴を下駄箱に並べる。*消耗品チェック

6月20日(日)晴れ

*屋外倉庫整理屋外倉庫の道具等の点検整理*屋内清掃 退寮前の清掃

寮までの登山道の状況

*西黒沢出合は橋の欄干も全く見えない河原となっている。川幅は広いが浅く飛び石で渡れる。

*マチガ沢は、昨年の大雨で橋が流されたままであり、少し下流に道が付け替えられている。平時は飛び石で渡れるが、川幅が狭いため増水時は通行不可

*新道は下草は一部刈ってあり通行に難はありません。人があまり入っていないため上部の枝や葉が多少うるさい感じです。

*一の倉沢は、広い河原のまま。以前は橋のコンクリート製橋脚が見えましたが、砂利に覆われてしまいました。

*幽の沢は、変化なし。川幅が狭いため増水時は通行不可

白毛門駐車場から出発
土合橋
土合橋下湯桧曽川の堰堤が土木遺産に認定された
土砂で覆われた西黒沢出合
流れの下に西黒沢橋が埋もれている
雨天のため旧道を行く
旧道を走る電気バス。一般車が通行止めとなり久しい
一ノ倉沢出合
幽の沢出合
分岐を下り新道、虹芝寮へ
柿沼、西田、西岡は新道経由で入寮。柿沼が背負っている白棒は寮の境界杭
虹芝寮内部到着時の様子。気温が低めでありカビの繁殖なし
虹芝寮台所到着時の様子、台所結露なし
虹芝寮台所到着時の様子
虹芝寮到着時の様子
虹芝寮到着時の様子、庭の草
庭の草刈り後
寮庭、薪置き場周辺の草
寮庭、薪置き場周辺の草刈り後
寮庭、薪置き場周辺の草刈り後
屋根材が剥がれている状況、
屋根材の剥がれを抑えコーキング材を注入
屋根材の剥がれを抑えコーキング材を注入
薪の養生を新たにかけ直す
この板は、台所水場の結露防止板。冬の間の結露防止、とても役に立っている
6月18日(金)のみ晴れ間あり。一階の布団のみ7:30~13:30まで干す。
下駄箱の掃除。長靴はカビが生えていた
窓は拭き掃除
台所はぬめりが強く念入りに
休憩時間。3時のおやつ
夕食は山菜の天ぷら(うど、いたどり、あざみ、よもぎ、とりあししょうま、たらのめ)
西岡君も天ぷらにチャレンジ
雨の日は寮内の清掃。上部はクモの巣だらけだった
6月20日(日)は朝から雨が止んだ
整美の面々(左から西岡、西田、柿沼、松浦、堤)
虹芝寮からの帰路、ブナ林
春の寮の花、ギンリョウソウ
丸まっている大きなナメクジ
堅炭岩の鋭鋒
湯桧曽川とゼニイレ沢出合
気持ちが良い新道。木陰は涼しい
マチガ沢出合の急な階段を下る
かわいい蛇と遊ぶ
下界へ

]]>
http://koshiryo.com/2021/07/%e4%bb%a4%e5%92%8c3%e5%b9%b4%ef%bc%882021%ef%bc%896%e6%9c%88%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e6%95%b4%e5%82%99/feed/ 0
群馬県境トレイル(三坂峠~平標山) http://koshiryo.com/2020/11/%e7%be%a4%e9%a6%ac%e7%9c%8c%e5%a2%83%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%ab%ef%bc%88%e4%b8%89%e5%9d%82%e5%b3%a0%ef%bd%9e%e5%b9%b3%e6%a8%99%e5%b1%b1%ef%bc%89/ http://koshiryo.com/2020/11/%e7%be%a4%e9%a6%ac%e7%9c%8c%e5%a2%83%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%ab%ef%bc%88%e4%b8%89%e5%9d%82%e5%b3%a0%ef%bd%9e%e5%b9%b3%e6%a8%99%e5%b1%b1%ef%bc%89/#respond Sun, 08 Nov 2020 12:49:49 +0000 http://koshiryo.com/?p=3828 Continue reading ]]>

令和2年(2020)年10月31日(土) 晴れ

石楠花会 松浦 圭 西岡 幸祐   踏高会 柿沼 恭介

6:50湯の沢駐車出発~7:23渡渉点~8:10三坂峠~9:08稲包山~10:56キワノ平ノ頭~11:30鉄塔下~11:38長倉山~12:03三国峠~休憩~12:30三国峠発~13:09三国山~14:50三角山~15:37平標山の家

 湯の沢駐車場は昔三国スキー場があった場所で今はススキが風に揺れている。路肩に車を停めて三坂峠に向けて出発する。石楠花会松浦さん、西岡君、踏高会柿沼の3名。前日に雪が降り標高1,300ⅿ以上は積雪がある。三坂峠までは北斜面の沢沿いを行く。渡渉してから尾根に取りつく。渡渉点から40分ほどで野反湖方面との分岐点である。三坂峠はもう少し先。稲包山までは見晴らしの良い尾根を歩く。稲包山で休憩する。ここは360度の展望台、目指す平標山だけは雲の中であるがこの後雲がなくなる。三国峠までは近いようで遠い。送電線の下をくぐり小さなアップダウン。最後に大きく下ると三国峠である。ここは南北に峠が走っており、街道を通った著名人の名前の石碑がある。坂上田村麻呂が第1にある。松浦さん手作りサンドイッチをみなでいただく。ここから三国山の300ⅿの登りだが木道階段がきつい。50分の階段登りをやって三国山の頂上である。ここから5つほどのアップダウンを繰り返し大源田山を巻いてしばらく行くと平標山の家に着く。テン場は2か所あり、南側に2張、北側に2張だった。豚肉とニラの火鍋を食べて疲れを癒す。

11月1日(日) 晴れ

6:30平標山の家出発~7:30平標山頂~8:00仙の倉手前好展望台へ~8:30平標山頂戻り~8:37下山開始~11:00松手山登山口~11:15元橋駐車場

 朝から快晴である。木道は凍り付いており慎重に歩く。平標山まで近そうであるがなかなか着かない。それまでは風がなかったが頂上に立った途端に強い東風に吹かれた。頂上からは巻機山、越後三山、未丈ヶ岳などが見える。仙の倉山に近い展望台まで足を運ぶ。戻って松手山登山口を下る。9合目までは風が強い。足元が凍り付いている。日曜日とあって多くの登山者が登ってきている。松手山で休憩する。その後樹林帯に入り、鉄塔を過ぎれば美しいブナ林に入る。ふもとの元橋駐車場付近は紅葉がピークだった。

令和2年(2020)10月31日(土)湯の沢駐車場
]]>
http://koshiryo.com/2020/11/%e7%be%a4%e9%a6%ac%e7%9c%8c%e5%a2%83%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%ab%ef%bc%88%e4%b8%89%e5%9d%82%e5%b3%a0%ef%bd%9e%e5%b9%b3%e6%a8%99%e5%b1%b1%ef%bc%89/feed/ 0
信越トレイル(関田山脈) http://koshiryo.com/2020/10/%e4%bf%a1%e8%b6%8a%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%ab%ef%bc%88%e9%96%a2%e7%94%b0%e5%b1%b1%e8%84%88%ef%bc%89/ http://koshiryo.com/2020/10/%e4%bf%a1%e8%b6%8a%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%ab%ef%bc%88%e9%96%a2%e7%94%b0%e5%b1%b1%e8%84%88%ef%bc%89/#respond Mon, 26 Oct 2020 11:13:28 +0000 http://koshiryo.com/?p=3774 Continue reading ]]>
左手に野尻湖、右手に妙高山を眺めながら歩くことは気持ちが晴れやかになる

コロナ禍で虹芝寮は閉鎖されている。気分転換で日本のロングトレイルの草分け信越トレイルを訪ねた。秋の平日は人が少なく、山小屋もなくテント泊で静かな3泊4日を過ごした。

2020年10月18日(日) 晴れのち曇り

都内~東京駅~北陸新幹線飯山駅~12:35飯山コミニュティバス~13:03斑尾ホテル前バス停~13:11-13:25リフト(片道800円)~14:00斑尾山(信越トレイル起点)~14:52万坂峠~15:06袴湿原~16:02袴岳~16:55赤池テントサイト

信越トレイルはまず専用マップを購入することから始まる。信越トレイルは、長野県と新潟県の境にある関田山脈の尾根沿いを縦走する約80㎞のロングトレイルで、平成17年に斑尾山から牧峠まで約50㎞が整備され、平成20年には天水山mで約30㎞が整備された。いつかはと思っていたが、今年は利根川や奈良俣川の沢登りが新型コロナウイルスや台風で中止になり欲求不満なところ、ちょうど秋晴れを狙っての単独行となった。北陸新幹線はくたか号を飯山駅で下車し、飯山コミニュティバスで斑尾高原ホテルへ向かう。13:03斑尾高原を出発する。ホテルの裏側に回るとスキー場と斑尾山が見える。マップだと高低差が分かりにくいが最初はレストランチロル方面に下っていく。今日は赤池までだが明るいうちに着けるか心配だった。仕事明けの午前中に都内を出ているため、斑尾高原出発が13時を過ぎている。リフトが動いているので遠慮なく利用する。信越トレイルの起点は斑尾山である。リフトを下りて約30分、14:00信越トレイル南の起点斑尾山に立つ。ブナの林を行くがスキー場の端を歩くことが多く木々が刈りはらわれている。道標が点々とありマップと参照しながら歩くと迷うことはない。これは終点までそうだった。道標のポイントを表す数とマップを参照しながら歩を進める。万坂峠はアスファルト道、車が通行している。袴湿原へ進み、袴岳、赤池へと下る。赤池遊森の館が赤池テントサイト水場、トイレとなっている。館から赤池沿いに行くとテントサイトである。看板が設置されており芝生のきれいなテントサイトである。

2020年10月19日(月) 晴れときどき曇り

5:53赤池テントサイト~5:56林道~6:14沼の原湿原~6:20沼の原湿原公衆トイレ~6:41生命の森植樹場所~6:59希望湖~7:03毛無山登山口~7:28毛無山頂上~8:48涌井~9:43富倉峠~9:57大将陣~11:20黒岩山~11:46熊ノ巣池~12:07桂池~12:16桂池テントサイト~13:50戸狩温泉スキー場~14:11とん平テントサイト(星降るキャンプ場)

秋は陽が短い。日の出が5:55、日の入りが17:02、薄明かりになるのをまって出発する。今年はブナの実が不作で熊が下界に下りてきて人がけがをして世間を騒がせている。早朝夕方は要注意である。赤池からすぐに林道を横断し沼の原湿原へ。ここは5月頃がミズバショウと残雪が美しいという。ぜひ家族と来てみたいところだ。毛無山への登り約30分、景色がいいところがある。ちょうど雲海をみることができた。毛無山から畑の中の道を下り、水場があるはずだが水がなく、小さな川で補充する。しばらく行くと涌井である。ここから民家の横を通って富倉峠へ登る。富倉峠は昔の石積が残されている。信州側の集落では越後から嫁をもらうことを誇りとし、働き者の越後女性が大勢嫁入りしたとマップにあった。越後から塩、米、酒、楮が運ばれ峠で受け渡しがされていた。しばらく林道を行く。黒岩山近くで林道がなくなりブナの美しい登山道を行く。熊ノ巣池を過ぎるとほどなくして桂池である。ここは幻想的な雰囲気。桂池テントサイトは2段の芝生でコンクリートの避難小屋もある。扉はないが中には丸テーブル、旅人ノートとクーラーボックスが置かれていた。泊まりたくなるが先を急ぐ。ここからとん平まではそう遠くない。ブナの美しい林、だいたい平たんな道を行くとスキー場の上部に出た。スキー場内を下り駐車場、大きな建物(スキー場のレストラン)の隣のとん平テントサイトで宿泊する。ここも静かでいいところ、空が開けているので冬の星座がよく見えた。来てよかったな。

2020年10月20日(火) 雨のち晴れ

5:45とん平テントサイト発~6:45小沢峠~8:07鍋倉山頂~8:28久々野峠~8:36黒倉山頂~9:17関田峠~10:22牧ノ小池~10:39牧峠~11:26花立山~11:56宇津ノ俣峠~12:35幻の池~13:51伏野峠~14:32須川峠~16:19野々海峠~16:59野々海峠テントサイト

 薄明かりの中出発する。とん平テントサイトから目の前のリフトの下を通って林道に至り、そこから山道に入る。山道はしばらくトラバース、沢筋を詰めて尾根にあがる。小沢峠まで1時間。けっこう遠いと感じたがブナの大きな木があり癒される。小沢峠~鍋倉山~関田峠は信越トレイルのハイライトであった。ブナのトンネル、開ける視界、明るい紅葉の尾根歩き、どれも素晴らしい。残雪期にまた訪れたいところだ。小雨だったが晴れてきた。紅葉が風でからからと音を立てて落ちる。関田峠は駐車場や石碑があるおおきな峠。ここから牧峠までは木をまたいだりくぐることが多い。牧峠は瞽女が越えていった峠と言われている。水上勉「はなれ瞽女おりん」を思い出す。瞽女が通った道か。花立山を過ぎ急な坂を下ると宇津ノ俣峠であった。ここはほんの小さな鞍部になっている。小さなアップダウンとぬかるみ道で疲れてきた。先はまだ長い。マップは頻繁にみるのでポケットに入れておくとよい。伏野峠からは左手に菱ヶ岳がかっこよい。足を上げるのがきつくなる頃、野々海峠に立つ。ここから30分アスファルト道を下ると今日のテント場、野々海峠テントサイトである。ブナの林と湿原と池がある神秘的な場所だった。時刻は16:59、日没近く。今日は11時間行動した。途中、伏野峠ではクーラーボックスがありミネラルウォーターが入れてあった。水を心配してトレイルエンジェルの方々である。ほんとうに頭が下がる。低山だから夏は暑く、水の補給が縦走の肝になってくると思う。

2020年10月21日(水) 晴れ

5:45野々海峠テントサイト~6:00深坂峠~6:23三方岳~7:11天水山~9:00栄村口~9:59森宮野原駅~バス~越後湯沢駅~大宮~帰京

野々海峠テントサイトからアスファルト道を約15分程度で深坂峠近くまで到着する。涼しくて気持ちがいい。三方岳までは意外と近い。天水山が最後の頂上である。ブナの山頂でいいところ、北の起点である。信越トレイルは3泊4日の素晴らしい旅だった。感慨にふけりながらゆっくりと栄村口に下る。途中本線ルートと森のルートと道が分かれる。本線ルートを歩いたが途中から林道歩きになったので、森のルートがいいかもしれない。途中で本線と合流するとのことだったが、合流地点は分からなかった。車の走る音が聞こえてくると国道117号である。森宮野原駅まではすぐである。5泊6日で歩けると一日の行動が5~6時間でかなりゆとりが生まれる。マップに「世界一の山脈 関田山脈:南木 均著」が抜粋で紹介されていた。関田山脈に興味を持ったので読んでみたい。

飯山コミニュティバスの終点 斑尾高原ホテル
斑尾高原ホテルの裏に回るとスキー場と斑尾山が臨める 雲に隠れた山頂を目指す
2020 10/18  信越トレイルの南の起点、斑尾山からスルーハイクスタート
斑尾山頂から10分の分岐点
紅葉のブナ林を歩く
左手に野尻湖、右手に妙高山を眺めながら歩くことは気持ちが晴れやかになる
高度を下げると万坂峠、ここは車道
アケビがたくさんなっています。
赤池テントサイトに到着、芝生のテントサイト
2020 10/19  沼の原湿原 残雪期はミズバショウが美しいが今は枯れ野原
希望湖が突然表れるさまは神秘的
毛無山登り口、ここから30分で頂上
毛無山山頂近くの展望台 雲海で眼下に畑、この後標高を下げ雲海に入っていく
毛無山から畑の横をとおり車道に下りると涌井 ここから富倉峠への登り口        途中の清水は発見できず沢で水をくむ
富倉峠へは民家の横を通る
富倉峠 越後と信州の交流の峠 石積みが残されている
長い林道の末に桂池に到着
桂池に沿って山道が続いている
桂池テントサイトまではアスファルト道を歩く
アスファルト道をから少し登ると桂池テントサイト 2段の平地に屋根付きの避難小屋
仏ヶ峰登山口付近のブナ美林
とん平スキー場上部に出た ここからとん平テントサイトまで下る
星降るキャンプ場の水道、お手洗いをつかわせてもらう
とん平テントサイト 
とん平テントサイトから、目の前のリフトの下をくぐり林道を経て信越トレイルに戻る
小沢峠まではブナの美林
とん平テントサイトから小沢峠まで約60分
鍋倉山1,288ⅿ 鍋倉山前後は信越トレイルのハイライト
久々野峠
ブナのトンネルにうっとりする
黒倉山頂 平坦な道が続く
ここが関田峠 大きな峠で駐車場や石碑がある
関田峠からさらに信越トレイルは続く
小さなアップダウンを繰り返し牧峠へ
新潟側には山の斜面に棚田が見られる
ブナ林は続く いままでより幹が黒っぽい
とん平テントサイトから約10時間歩き野々海峠へ至る
野々海峠テントサイトへはアスファルト道を行く この歩きは疲れた体に堪えた
野々海池の日没
野々海峠テントサイトの看板 各テントサイトには立派な看板があり分かりやすい
野々海峠テントサイト全景
2020 10/21 野々海峠テントサイトから深坂峠までは約15分
出発後、日の出となりブナに朝日があたる
三方岳を過ぎる
天水山頂上 信越トレイルのゴール(3泊4日)
栄村口方面へ下る
栄村口からさらに森宮野原駅へ
栄村口の鎮守様
]]>
http://koshiryo.com/2020/10/%e4%bf%a1%e8%b6%8a%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%ab%ef%bc%88%e9%96%a2%e7%94%b0%e5%b1%b1%e8%84%88%ef%bc%89/feed/ 0
夏の虹芝寮整美2019年 http://koshiryo.com/2019/07/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e6%95%b4%e5%82%99%e3%80%80%e4%bb%a4%e5%92%8c%e5%85%83%e5%b9%b4%ef%bc%96%e6%9c%88/ http://koshiryo.com/2019/07/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e6%95%b4%e5%82%99%e3%80%80%e4%bb%a4%e5%92%8c%e5%85%83%e5%b9%b4%ef%bc%96%e6%9c%88/#respond Mon, 08 Jul 2019 08:36:47 +0000 http://koshiryo.com/?p=3263
西黒沢橋は土砂に埋もれていたが、すっかり取り除かれていた。橋の両側は深く掘られている
重たい荷物を歩荷してマチガの橋を渡る、落ちないように慎重に
ずっしり肩に食い込む荷物、車が横付けできない山小屋は人力だけが頼り
橋のない川も慎重に足場を探す、滑りやすいので一歩一歩確実に歩を進める
72歳西田さん、煙突の入った大きなダンボールの歩荷を担当
ステンレス煙突、I型9本、L型2本、H型1本
令和元年7月8日からの薪の搬入に備えて薪ベッドの準備、一列に並んで草むしりからスタート
食器の煮沸と台所の掃除は渡邊ももさんが担当
薪山に大ナメクジを発見
70kg超の岩を運ぶ、この岩は寮に向かって玄関左側に鎮座している
食器の煮沸を行いなかなか落ちない油分も完全に除去する
朝はベーコンとレタス、食パン。担当ワンゲル学生さん
お世話になった道具たちに感謝しながら美しくする
床をデッキブラシで磨きぬめりを落とす
薪ベッド新しくなりました、ここに薪500束を置く。ブルーシートが掛かっているのは現在の薪
みんなで力を合わせました、頼もしい仲間たち
夏の虹芝寮整備で見られるギンリョウソウ、新道沿いにひっそり咲いている
]]>
http://koshiryo.com/2019/07/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e6%95%b4%e5%82%99%e3%80%80%e4%bb%a4%e5%92%8c%e5%85%83%e5%b9%b4%ef%bc%96%e6%9c%88/feed/ 0
積雪期上越国境縦走      http://koshiryo.com/2019/03/%e7%a9%8d%e9%9b%aa%e6%9c%9f%e4%b8%8a%e8%b6%8a%e5%9b%bd%e5%a2%83%e7%b8%a6%e8%b5%b0%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e8%b6%8a%e5%be%8c%e9%a7%92%e3%82%b1%e5%b2%b3%ef%bc%8d%e8%93%ac%e5%b3%a0/ http://koshiryo.com/2019/03/%e7%a9%8d%e9%9b%aa%e6%9c%9f%e4%b8%8a%e8%b6%8a%e5%9b%bd%e5%a2%83%e7%b8%a6%e8%b5%b0%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e8%b6%8a%e5%be%8c%e9%a7%92%e3%82%b1%e5%b2%b3%ef%bc%8d%e8%93%ac%e5%b3%a0/#respond Sat, 30 Mar 2019 09:18:13 +0000 http://koshiryo.com/?p=3203 Continue reading ]]>

平成31年(2019年)3月から遡ること、60年。昭和33年(1958年)3月に行われた成蹊大学山岳部春合宿を振返る。写真は、当時三年木村健司氏、文章は当時三年CL西口雅氏、岩と雪Ⅰへの寄稿である。

「岩と雪Ⅰ」昭和33(1958年)年7月1日発行
昭和33年(1958年)3月成蹊大学山岳部春山合宿の記録

越後駒ケ岳の麓、駒の湯を3月9日に出発し、越後駒ケ岳、中の岳、下津川山、巻機山、蓬峠を経て3月29日虹芝寮に到着し縦走終了

隊の編成 越後駒ケ岳-巻機山縦走隊=CL西口雅(三年)、木村健司(三年)、大池康司(二年)。巻機山-虹芝寮縦走隊=CL西口雅(三年)、SL柴田雄二(四年)、馬場秀雄(二年)。駒ケ岳サポート隊=SL柴田雄二(四年)、馬場秀雄(四年)、井草洋太郎(一年)。巻機山サポート隊金井徹(四年)、金子喬一(二年)、水上三栄(二年)

我々が五七年度の総決算ともいうべき春山合宿に上越国境を選んだのは、この縦走を昨年計画し失敗していることが大きな理由でもあるが、我々が二年もかけて上越国境の縦走を企てたのは成蹊が谷川岳に小屋を持って、長い間親しんでき、且つ最も身近な上越の山に未だ完全に知られていない中ノ岳から巻機山の国境稜線があると言うこと。そして此処は特に積雪期には全くと言って良い程一般には知られておらず、越後駒ケ岳より谷川岳までの一貫した縦走記録は上越の山に関心をもつ我々にも手に入らないのであった。
以下写真はすべて木村健司氏提供

この国境尾根は中ノ岳巻機山間は猛烈なブッシュで無雪期に歩かれるのは極めて少なく、利根川を遡行したパーティが尾根上に立つ位で縦走は残雪気に行われるのが多かった。上越に残された、我々にとっても未知のこの国境を雪に苦しめられ乍らも、歩いてみたいと言うのが永年の念願であった。

後記 我々の合宿を期間内に無事に終了させることができたのは、一口に言えば天候に恵まれたためである。昨年の悪天候が予想以上であったように、今春の好天も予期していなかったことで、これに加えて過去の苦い経験から十分の期間をとったこと、参加した部員の殆どが積雪期の上越を知っていたことが全員に精神的にも余裕をもたせていた。昨年の、失敗の苦い経験が貴重なものとなって生き我々の上越国境の縦走に結末をつけてくれた。気象的条件の変化の影響を受けることの著しい上越において天候に恵まれたと言うことは、自然から厳しい試練を受ける機会をそれだけ失ったことになる。しかし我々は我々の力の範囲内で全力を傾けたのであり、山はそれだけのものを与えてくれたに違いない。

 縦走を終えて虹芝寮に入る。「この小屋は建てられてから25年を経る古い小屋であるが、いつもそうして人を迎える姿にはおおらかな慈愛が溢れていた。縦走の終着点虹芝寮に到着したのが十二時三〇分。二十日間におよぶ縦走を無事完成せしめることが出来たのだ。我々はこの喜びと、次の新しい目的に対する闘志を抱きながらも疲労は隠せなかった。顔をあげると雲の切れ目から五日ぶりに見る青空が祝福を与えてくれるようだった。」  

]]>
http://koshiryo.com/2019/03/%e7%a9%8d%e9%9b%aa%e6%9c%9f%e4%b8%8a%e8%b6%8a%e5%9b%bd%e5%a2%83%e7%b8%a6%e8%b5%b0%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e8%b6%8a%e5%be%8c%e9%a7%92%e3%82%b1%e5%b2%b3%ef%bc%8d%e8%93%ac%e5%b3%a0/feed/ 0
仏岩~阿能川岳~小出俣山~十二社ノ峰(小出俣沢流域周回) http://koshiryo.com/2019/03/%e5%b0%8f%e5%87%ba%e4%bf%a3%e6%b2%a2%e6%b5%81%e5%9f%9f%e5%91%a8%e5%9b%9e/ http://koshiryo.com/2019/03/%e5%b0%8f%e5%87%ba%e4%bf%a3%e6%b2%a2%e6%b5%81%e5%9f%9f%e5%91%a8%e5%9b%9e/#respond Thu, 28 Mar 2019 09:34:58 +0000 http://koshiryo.com/?p=2888 Continue reading ]]> 虹芝寮から近い山域であるが、あまり知られていない静かな山があるので紹介したい。谷川岳を盟主とする上越国境稜線の南側に広がる阿能川岳や小出俣山は訪れる人も少ない山域である。上越国境稜線のオジカ沢の頭から爼倉山稜を経て谷川乗越の南側に小出俣山がある。小出俣山は谷川岳の前衛峰ともいえる位置にあり東に阿能川岳、西に三尾根岳を領袖として1,749mを頂点としている。虹芝寮整備の後、すずもりの湯に立ち寄ることがある。すずもりの湯を囲む山々はこの山域の尾根の末端である。すずもりの湯からさらに登ること6kmで仏岩越の入り口がある。今は赤谷越と呼ばれることが多いようだ。仏岩ポケットパークと駐車場があり、仏岩トンネルが開鑿されている。仏岩越を起点として、阿能川岳、小出俣山、十二社ノ峰を周回した。寮がある湯桧曽川流域の山脈は馬蹄の形をしていることから通称馬蹄形と呼ばれているが、小出俣川流域の山脈も小さな馬蹄形をしている。登山道はないため積雪期残雪期に歩かれている。

平成31年3月23日から3月25日までの登山記録(仏岩越~阿能川岳~小出俣山~十二社ノ峰~川古温泉)柿沼恭介、打矢和之

平成31年3月23日(土) 曇り 午後から強い西風

6:45仏岩駐車場~7:12仏岩峠~7:49ピーク1,236m~8:30鍋クウシ山1,314m~8:50天子山1,399m~9:30三岩山1,568m~10:40阿能川岳1,611m~12:45小出俣山1,749m~15:30三尾根岳東側コル1,650mテント泊

登山の起点は仏岩ポケットパークの看板からで、ザラメ雪の中を進むが登山道が判別できる程度の積雪であるため道を失わないように注意する。杉林の中のため目指す仏岩峠の位置が下からは分からない。30分で仏岩峠に立つ。吾妻耶山との分岐である。川古温泉へは落ち葉の中を峠道がゆるやかに下っている。峠には雪がなく踏跡が尾根伝いにあり藪をこぐことはない。鉄塔のあるピークで休憩する。送電線の周囲は木が伐採されており荒らされている。鉄塔から先は完全に雪で覆われようやく春山らしい雰囲気になってきた。幅の広い尾根がゆるやかに続いている。鍋クウシや天子山ははっきりと分からずに通過する。尾根が狭まり小さな露岩やアップダウンが出てくるのは三岩山である。松の根や枝が出ているので掴まるところは多く、ザイルを出すようなところはない。この山行では、ザイル、ハーネス等は持参していない。5m位のルンゼ状を下る場所があるが、根をしっかり掴みアイゼンを利かせれば問題なく下れる。三岩山を過ぎると尾根は再び幅広くなりゆるやかに伸びあがると阿能川岳である。阿能川岳は長稜であり北の端に小さな表札が掲げられている。南東に尾根が伸びており水上寺まで続いている。上部は十分に雪があるが水上寺付近はすでに雪が消えているので登山適期は過ぎている。今年は雪が少ない。

 阿能川岳から小出俣山への尾根筋に入る。尾根は緩やかに続くが最後に傾斜が強くなり小出俣山の肩に出る。斜面では雪面にクラックが入り恐ろしく、北側の灌木帯に入る。灌木帯は安全である。小出俣山の肩からは谷川乗越と阿弥陀川が臨める。赤谷川はドウドウセン上部から阿弥陀川と名前を変えているが源流部は阿弥陀経の来世の如き美しさがある。

 小出俣山の先から三尾根岳とのコルを目指す。雪庇は南側に張り出しており北側は灌木帯である。急な下りがあるが灌木帯に沿って下って行けば難しい処はない。強い寒気の影響で次第に天候が悪化し吹雪となる。三尾根岳東側コル1,650mに適当なテンバを見つけたので行動を終えた。

平成31年3月24日(日) 曇り 終日強い西風

13:00三尾根岳東側コル1,650m~13:35三尾根岳1,720m~ピーク1,621m~15:15松ホド山1,481mテント泊

朝から穏やかに晴れるはずが強い東風で地吹雪となっており、風が止むのを待つ。12:00になっても風が収まらないので行動を開始する。三尾根岳までは50mの登りで東側に雪庇が張り出している。三尾根岳から南南西に進路を変える。西尾根が出ているので視界が悪い時は注意が必要である。コンパスで現在地を確認する。雪庇は全て西側を巻き気味に下るが石楠花の灌木が多い。1,621mピークもあっさり西側から巻き下る。松ホド山まで来れば平坦な幅が広い尾根となりどこでもテンバとなりうる。松ホド山から100m程南へ歩き行動を終えた。

平成31年3月25日(月) 快晴 無風

7:30松ホド山~7:45十二社ノ峰~9:50林道~10:00川古温泉~11:00仏岩ポケットパーク(起点に戻る)

夜中に目が覚めると、月明かりでテントにぶなの枝の影がでていた。外は銀世界で仏岩越から阿能川岳の長い稜線が横たわっていた。6:00に起床し7:00発、15分後に十二社ノ峰に立つ。長年憧れてた十二社ノ峰に漸く立つことができた。十二社ノ峰からはコンパスを設定し真南へ下る。途中いくつも小尾根が派生しているがコンパスで南を指す尾根を下ればよい。最後に地形図の毛虫マークのある岩場があるので東側へ徐々に下り林道へ下りる。10分で川古温泉、一時間後に仏岩ポケットパーク(起点に戻る)へ。途中、富士浅間神社で無事の下山を感謝した。 踏高会 柿沼 恭介

]]>
http://koshiryo.com/2019/03/%e5%b0%8f%e5%87%ba%e4%bf%a3%e6%b2%a2%e6%b5%81%e5%9f%9f%e5%91%a8%e5%9b%9e/feed/ 0
雪下ろし2019 http://koshiryo.com/2019/02/%e9%9b%aa%e4%b8%8b%e3%82%8d%e3%81%972019/ http://koshiryo.com/2019/02/%e9%9b%aa%e4%b8%8b%e3%82%8d%e3%81%972019/#comments Thu, 14 Feb 2019 12:31:20 +0000 http://koshiryo.com/?p=2716 Continue reading ]]>

2019年2月9日11時30分虹芝寮到着。一階の出入り口はすっぽり雪に包まれていた。

平成31年2月9日(土)~2月11日(月)
踏高会:西田 悠一、柿沼 恭介

石楠花会:松浦 圭、村上 英之、川端 広貴

※写真追加 2/16

北側は風上であり着雪が少なく壁がむき出しになっている。

2月9日(土)曇り→雪 -5℃
入寮の起点となる、土合山の家周辺は1mの積雪があり例年と同程度である。朝9時に全員が揃って出発する。土合橋から2時間で虹芝寮へ到着する。わかんじき、スノーシュー、スキーとそれぞれスタイルが違うが、雪が締まっており、くるぶしまでしか潜らず歩きやすい。-5度だが風がなく暖かく感じられる。松の木沢は上部に小さなデブリが見えているだけでデブリは湯桧曽川まで届いていない。

虹芝寮11時30分着

虹芝寮西側から、長い屋根に積もる雪

南側に回り込むとこの下に虹芝寮があると分からなくなる。緩い丘の先に虹芝寮の小さな庇が見える。

 

虹芝寮周辺の積雪は3mで2階玄関の高さが雪面となっており、2階からすんなり中に入る。台所は結露で天井から水が滴っていた。北側と西側の雨戸を開ける。雨戸の桟に氷が張り付いているのでスコップやピッケルの先で氷を割りながら少しづつ開けてゆく。屋根の積雪は南側の最も深いところで95cmである。スノーダンプとスコップに分かれて屋根の雪を下ろす。雪のブロックはずっしりと重たい。屋根の真ん中に雪流しルートを作り、スコップで四角にブロックを切り出して放り投げることを繰り返す。屋根の北側は西田さんがザイルで自己確保してすべて下ろした。

コーヒーの先生は、松浦圭さん。香り高い焙煎にうっとりする。

2月10日(日)雪 -5℃
朝食後8時半から作業開始。屋根の除雪は残り3分の1。気温は低いがスコップを振っていると汗をかくので目出し帽を脱ぐ。屋外倉庫の扉前も同時並行で掘る。午前中に頑張り雪下ろしすべて完了する。雪の重みから解放され垂直を示す分銅が1.5cm動いた。午後はお風呂を沸かし汗を流した。2時間30分でよい湯加減となる。午後は寮周辺の散策やコーヒーの焙煎など思い思いに過ごす。台所の水量は十分。

北側の除雪はザイルで確保して慎重に作業する。

2月10日お昼頃の虹芝寮。屋根の雪はすべて下した。仕事の成果を実感する、充実のとき。

2月11日、日の出とともに芝倉沢へ歩き、モルゲンロートを期待したが曇り空のため白い朝となった。

2月11日(月)曇り -5℃
6時起床。芝倉沢へ下り堅炭岩の朝焼けを見に行く。曇っているため朝焼けにはならなかったが、上越国境稜線の白銀の世界に満足する。うさぎの足跡を追いながら寮へ戻る。モーニングコーヒーと朝食後、退寮前の清掃に取り掛かる。スノーダンプは積雪期のためスペシャルルームに置く。台所は結露して水滴が絶えず落ちている状態だったので、堅く絞った雑巾で天井・壁を拭く。水槽の蓋をしっかり締める。10時32分徐々に雲が薄くなりつつなる中を退寮する。昨日からの積雪があったためトレースは消えているが表面以外は締まっており歩きやすい。うさぎやてんの足跡が交差している雪面を歩くのは気持ちがいい。1時間30分後には土合橋に到着した。

— 道中記録アルバム —

多めに撮っておりますので、ゆっくりお楽しみください(松)。

土合橋で脚ごしらえ

積雪はほどよく多い

西黒沢も春を待っている

カタズミ岩がお出迎え

マチガ沢駐車場では誰かが作った番人が溶けている

加重に耐える東屋には感嘆する

たっぷり雪が詰まっている

体力自慢の川端君。徒渉がないのがうれしい

一ノ倉沢出合いで開放感に打たれる

ガッツのある村上君

ガスの一ノ倉沢は恐ろしい

衝立岩が睥睨してくる

ゼニイレ沢のデブリは控えめ

夏道の人気者、たこの木

雪はそれほど潜らず快適に進む

東電小屋が見えた

ここで一行は安堵に包まれる

布団をかぶった虹芝寮

二階玄関が真価を発揮

倉庫は埋没、裏手はほどよい積雪

まずは皆で一周する

ここを開けねば中が暗い

どこからやっつけるかね、と検討

煙突が雪空を映している

雪を下ろす前におのおの願望を満たす

玄関の雪庇は一度は落ちている様子

じきに窓が開き、室内に光が流れ込む

最後の難関を攻める村上君

下から上に雪を投げるのが大変

室内は零下。台所の水音がお帰りと唄っている

早速食当開始で湯気が立ちこめる

気まぐれな天使の芸術

真っ赤な麺が空きっ腹に訴えてくる

危険箇所はロープで確保して除雪

一階玄関上を切り離す

上と下から切り出していく

屋根の上は1mない

屋根を数列掘り出して雪を流すレーンを作る

五時過ぎに日が暮れて、続きは明日!

平岡さん差し入れの飛騨牛ステーキ!いただきます!

コーヒー焙煎に挑戦する柿沼君

記念すべき虹芝寮第一号焙煎

丁寧にドリップ

ほほうなるほど、こうなるのかという表情

朝、全員からだがギシギシ鳴っている

絶品うどん

夜半から音もなく雪が降った

今度は倉庫を掘り出す

さてやろう

ここには大事なものが入っている

昼前に雪下ろし完了

節々で記録を取る西田さん

スマートな姿に戻った虹芝寮

大事なものを掘り出して設置!

こいつで人間をぐつぐつ茹でる

平岡さん差し入れの超豪華昼飯の松坂牛ハンバーグ

焼き目よく仕上がって付け合わせも完璧。いただきます!

午後はおのおの自由時間

成蹊スロープへお散歩

みんなは大きな木に会いにいく

松浦は存分にシュプールを描きました

最高のご褒美

タオルも凍るマイナス4度

入浴は全力疾走システム

地獄から天国に飛び込んで大笑い

たまらない雪見酒!

健康法にトライ

さらに元気になりました

二階窓からブナがのぞく

お散歩にも行かず焙煎修行に励む柿沼君。最後は見事なシティローストに

このストーブもまだ頑張っている

夕食は伊達さんのジンギスカン!毎度の食事がクライマックスのよう

部屋中に肉の香りを立ちこめさせて

焼けたが早いが箸が延びる

西田さんのすばらしい工芸パズル

6時半、モルゲンロートを拝謁しにいく

おのおの尻滑り

穴に逃げ込んだちいさな動物

締め殺しながら昇っていく

ストーブの周りに集まる

退寮。ありがとうございました

東電小屋は孤独に耐えていた

音のない世界を進む

ウサギの朝の散歩

夏道も様相が全く違う

一ノ倉沢が尾根越しに見えてきた

デブリ近くを避けて一本取る

下界が近くなっていく寂しさ

何度も振り返る

11:10到着。土合山の家には毎度お世話になります

 

 

]]>
http://koshiryo.com/2019/02/%e9%9b%aa%e4%b8%8b%e3%82%8d%e3%81%972019/feed/ 1
土合山の家と虹芝寮 http://koshiryo.com/2019/02/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e3%81%a8%e5%9c%9f%e5%90%88%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%ae%b6/ http://koshiryo.com/2019/02/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e3%81%a8%e5%9c%9f%e5%90%88%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%ae%b6/#respond Tue, 12 Feb 2019 13:59:56 +0000 http://koshiryo.com/?p=2692 Continue reading ]]> 土合山の家は虹芝寮と関わりが深い。虹芝寮建設まではもちろんのこと、昭和7年の虹芝寮完成以降も、土合山の家先代の中島喜代志氏は虹芝寮の鍵の管理を任されており、成蹊の学生は中島氏を訪ねた。

中島喜代志氏(中央)谷川岳警備の仲間たちと。足元に倒れている標識には「準備よいか尊い生命」とある。虹芝寮の鍵は中島氏が保管していた。(土合山の家提供)

虹芝寮を建設した踏高会三枝守維は述懐する。「喜代志はきさくないい人でしたよ。おやじは農家でね、清水トンネルを作るときは飯場の長をしてたんじゃないかな。土合山の家はトンネル掘る人たちの子供たちの学校だったんだよね。あそこはね、軍が森を切ったから雪崩でやられたんだよ。それで少しこっちにずらしての立て直したのが今の家なんだよ。ぼくらがやまへ行った頃は、喜代志がお米しょったり野菜しょったりして、僕らの補給は土合山の家だったから、なくなると誰か下りて行って、喜代志がしょってきたんだ。きさくないい人でしたよ。もともと、喜代志のうちはねえ、湯檜曽の呉服屋だったんだよ。たしか山の家と両方やってたな。喜代志の時代になったころは、山登りが盛んになって、土合の山の家もお客さん多かったから 山の家を専門でやるようになったんだね。そのころは、清水トンネルも開いたばかりだったからね、それで僕らが虹芝寮をつくって、年は僕と同じだったよね。確か大正3年生まれだった。昭和6年頃(1931年)だから、僕らが16歳のころだな。土合山の家が補給基地だったんだよ。それから山の家にだいぶ泊まってますよ、僕らも。黙って止まって黙って出てくるわけだ、とにかく掘立小屋でね、僕らの時は土合の駅はなかったからね、信号所だったんだよ。動いている貨物車に下りるのは楽だったけど、乗るのは大変だったよ。あれは高さがあるからね。貨物列車は飛び乗って飛び降りてた。荷物を先に投げて僕も飛び降りる、それが面白くってな。そのうち客車が通るようになって、あそこに停まるようになった。・・・」

昭和7年、清水トンネル開通後に、国鉄から払い下げられた山の家。清水トンネル工事中は幸知小学校土合分校であった。最初の頃は観光客も村の人たちも来ず苦労されたという。(土合山の家提供)

土合スキー場山の家。丸ストーブが置かれテーブルには丼が並べられている。(土合山の家提供)

上越国境の山々とともにある。中島喜代志氏は多くの登山道を啓き、谷川岳登山の先鞭をつけた。(土合山の家提供)

三枝守維氏の述懐の頃を谷川岳山岳資料館史料から引用する。「土合は信号所として設けられ、二年後の暮れに信号所は乗客が乗り降りする土合駅に昇格した。国鉄のスキー場用にと、土合にあったトンネル工事関係者の子弟用の湯檜曽の幸知小学校の土合分教場を改造しての山の家であるのにスキー客が来ない。いくら無償で払い下げられたといってもである。後にこの小屋は終戦の昭和二十年一月に雪崩で潰されてしまい、現在の場所に立て替えられるのであるが、雪崩の原因は軍の要請で保安林が切られたためであった。小屋を始めたものの客も村の連中も来ない。喜代志は山へ入りゼンマイ、コゴミなどの山菜やクマやモモンガの素晴らしい毛皮を独占する。モモンガはフランスにもの凄く売れた。一頭二円五十銭。猟は夜。雲がちょっと出ているのが良かったが月の半分は出猟でき、一回で七、八頭は捕れた。ゼンマイもいぶせば重さは半分になり、ただ干すだけより虫にも食われず、高く売れた。」中島喜代志・谷川岳山岳資料館蔵)

昭和25年11月玄関の前で。(土合山の家提供)

東京府主催のスキー大会が土合スキー場及び山の家周辺で行われた。(土合山の家提供)

食堂だろうか、ストーブを背に暖をとっている。登山道が出来ると登山者が殺到した。駅にも昇格し、喜代志小暮理太郎との出会いが無ければ今の自分は無かったと後にしみじみと述懐したという。(土合山の家提供)

 

スキー置場の文字が読める。外には白銀の世界が広がる、笑みが自然とこぼれる。白樺尾根や武能までのスキーも行われていた。(土合山の家提供)

 

清水トンネル開通のために殉じた方々の霊を慰める神社が清水トンネル脇にある。写真左側のレンガ塀は清水トンネル。国道からも鳥居が認められる。現在は、山の家の中島さんが5月10日に静かにお祭りをしている。(土合山の家提供)

平成31年2月土合山の家 春が訪れ、雪解けとともにつららが成長し陽光に輝く。土合山の家は暖かく登山者を迎え入れる。

山の家に掲げられている登山コース所要時間表。板を並べ、手書きで山の概念図が描かれている。味わいのある額縁。中島光代さんが小さい頃から掲げられており、幾多の登山者がこれを見ながら山を思ったことだろう。

昭和の初めのころ、大勢で登った谷川岳(土合山の家提供)

スキーを担いで頂へ(土合山の家提供)

一歩一歩踏み占める。(土合山の家提供)

谷川岳の春(土合山の家提供)

山の家、ストーブを囲んで団らん(土合山の家提供)

ポッケに手を入れ、胸を反らせる。(土合山の家提供)

谷川岳肩の小屋(土合山の家提供)

「上越線開通の翌年、群馬県出身の小暮理太郎が仲間と一緒に山の家に泊まる。小屋の経営に絶望しつつあった喜代志に理太郎はこう言って説明した。谷川岳は素晴らしい山だ。東京からも近い。スキーは駄目でも、将来きっと登山で発展する。それには道を付けなければ駄目だ。あんたがそれをやれ。登山は英国から入ったスポーツで、これから盛んになるぞ。あんたがガイドとして道案内をやれば、いい仕事になる。道が出来れば人は必ず来る。そうしたら、そこに駅ができる。だまされたと思ってやってみろ。…中略…登山道が出来ると登山者が殺到した。駅にも昇格し、喜代志小暮理太郎との出会いが無ければ今の自分は無かったと後にしみじみと述懐したという。」中島喜代志・谷川岳山岳資料館蔵)

]]>
http://koshiryo.com/2019/02/%e8%99%b9%e8%8a%9d%e5%af%ae%e3%81%a8%e5%9c%9f%e5%90%88%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%ae%b6/feed/ 0
堅炭岩の水晶 http://koshiryo.com/2018/10/%e5%a0%85%e7%82%ad%e5%b2%a9%e3%81%ae%e6%b0%b4%e6%99%b6/ http://koshiryo.com/2018/10/%e5%a0%85%e7%82%ad%e5%b2%a9%e3%81%ae%e6%b0%b4%e6%99%b6/#respond Sat, 13 Oct 2018 02:26:22 +0000 http://koshiryo.com/?p=2599 Continue reading ]]> 平成30年(2018年)秋の虹芝寮整美を終え学生さんたちは帰り途端に静かになる。翌日から堅炭岩を目指す。βルンゼからコルに出て中芝新道を経て一ノ倉岳~蓬峠まで縦走し虹芝寮に戻った。堅炭岩は水晶が見つかる。広いカールボーデンの中、どこにあるのか時間が許す限り探すのは面白い。

左からK峰、KⅠ峰、KⅡ峰、KⅢ峰、KⅣ峰。KⅡとKⅢの間がβルンゼである。

βルンゼは中央のコルに突き上げている

水晶1

真下からK峰とKⅠ峰

古いリングボルトが過ぎし登攀を知る

堅炭沢カールボーデン

リングが切れたボルト

KⅠ峰に陽が当たる

水晶の結晶

水晶1

細かな水晶

水晶の結晶がはっきり

αルンゼ取付き

KⅡ峰とKⅢ峰のコルから湯桧曽川

KⅢ峰から堅炭沢

茂倉岳から武能岳に続く尾根

蓬峠から虹芝寮への分岐

芝倉沢出合からの堅炭岩

堅炭沢を登っているとぬめりのあるきのこに出合った。食べられるか否か分からないが美味しそうである。かじってみてもほのかに甘い。虹芝寮の図鑑で調べるとならたけもどきらしい。食べ過ぎに注意とある。ゆでこぼして水にさらし塩漬けにすると美味しいと記載がある。家に持って帰り恐る恐る少しだけ食べる。なめこのようなぬめりと腐葉土のような香りが美味しい。

堅炭沢のならたけもどき

食べ過ぎに注意だがぬめりがあり美味しい

ゆでこぼして水にさらして食べる

ならたけもど

]]>
http://koshiryo.com/2018/10/%e5%a0%85%e7%82%ad%e5%b2%a9%e3%81%ae%e6%b0%b4%e6%99%b6/feed/ 0